Japanese Castle

江戸城 本丸

【天守台】
 最初の天守閣は1607年二代将軍秀忠の代に完成したが、その後大修築され1638年、 三代将軍家光の代に江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きな天守閣が完成した。 外観5層内部6階で、地上からの高さは58メートルあった。しかし、わすか19年後の1657年、 明暦の大火(振り袖火事)で飛び火により全焼し、以後は再建されなかった。
【本丸御殿跡】
 広大な御殿跡。何も残っていないが、天守台に近い北側が奥で、南側が表だったらしい。
【富士見多聞】
 本丸西側石垣上に建てられた富士見多聞。鉄砲や弓矢が納められており、外側には格子窓が 設けられていた。当時は本丸の周囲は藤見櫓のような多門櫓と隅矢倉などで囲まれていた。
【富士見櫓】
 本丸南東隅に位置する、唯一の現存三重櫓。明暦の大火後の万治2年(1659)に建てられたもので、 天守の代用として使われていたらしい。石垣下からの姿を見るには、一般公開の日を狙うしかない。
【中雀門】
 かなり規模の大きい枡形。両脇には礎石も残っている。
【北桔橋門】
 本丸北側の門。門の外側は一見すると土橋で北の丸に続いているが、門の前数mの部分が確かに跳ね橋になっている。 海外では一般的に見かけるが、国内では比較的珍しい気がする。江戸時代には、ほとんど跳ね上がった状態だったらしい。
【西桔橋】
 本丸西側も跳ね橋になっていたらしい。ここも普段は一般人は入れない場所。
【松の大廊下跡】
 赤穂浪士討ち入りにつながったことで知られる、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央への刃傷事件があった 有名な廊下はこのあたりにあったらしい。廊下に沿った襖戸に松と午鳥が描かれていたのが名前の由来と言われている。 江戸城中で2番目に長い廊下で、畳敷きの立派なものだったらしい。何も残ってないけど。
【石室】
 伊豆石でつくられた堅固な石室。大奥御納戸の脇に位置する事から非常の際、大奥用の調度などを 納める為の室だったと考えられている。抜け穴とか金蔵とかの城にありがちな説もあるが、 そう言われてしまうと、つい覗いてしまう。
【東側石垣】
 本丸の東側、梅林坂と塩見坂の間の石垣。この辺りの石垣は平成14年から平成17年に架けて修復され、 その際に大量の屋根瓦などが出土したほか、文字が彫られている石垣も見つかっている。
【中之門石垣】
 本丸中之門の石垣は平成17年から平成19年にかけて修復が行われ、その際に交換した石材が 展示されている。なお、中之門の石垣上には本丸御殿への登城口として渡櫓門が建てられていた。
【搦手】
 通行止め