江戸城 二ノ丸



【二ノ丸庭園】
image-1 image-1  江戸時代、二の丸には小堀遠州が造り、三代将軍徳川家光の命で改修されたと伝えられる庭園があったが、 長い年月の間にたびたび火災で焼失し、明治以降は荒廃していた。現在の回遊式の庭園は、昭和43年の皇居東 御苑の公開の開始に当たり、九代将軍徳川家重の時代に作成された庭園の絵図面を参考に造られたもの。


【二ノ丸雑木林】
image-1  武繭野の代表的な風景である雑木林は、約20年ごとに燃料用に伐採され、下草や落葉は毎年肥料として集められるなど、 人間生活との深い関わりにより形成された。コナラ、クヌギなどの落葉樹の林が保たれ、チゴユリなどの春植物(樹木の葉が開く前の 林内が明るいうちに葉を広げ、花を咲かせる植物)をはじめ、多様な動植物が生息・生宵できる林となっている。


【諏訪の茶屋】
image-1 image-1  諏訪の茶屋は、江戸時代には吹上地区(現在御所等のある一帯)にあった。この建物は、明治45年に再建されたもので、 明治期の茶室風の建物として優雅な外観をもっているため、皇居東御苑の整備に当たりここに移された。


【同心番所】
image-1 image-1  「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、大番所とこの同心番所の3つが残っています。城の奥の番所ほど、 位の上の役人が詰めていた。ここには同心が紹め、主として登城する大名の供の監視に当っていた。


【百人番所】
image-1 image-1  本丸と二の丸へ通じる要所である大手三之門の前に設けられた番所です。鉄砲百人組と呼ばれた、甲賀組、伊賀組、根来組、 二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていた。各組には同心が100人ずつ配属されていた。


【大番所】
image-1 image-1 「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、同心番所とこの大番所の3つが残っています。中之門の側に設けられ、 他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていた。前の坂を上ったところが本丸の入口で、中雀門があった。


【本丸中ノ門】
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【汐見坂】
image-1 image-1  本丸と二の丸をつなぐ坂道で、以前は今の新橋から皇居前広場の近くまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺 めることができました。坂の上には、汐見坂門が設けられていた。


【梅林櫓】
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【梅林坂】
image-1 image-1  梅林坂は、本丸と二の丸を結ぶ坂で、文明10年(1478年)太田道灌が天神社をまつり、数百株の梅を植えたので梅林 坂の名が付いたといわれている。現在は約50本の紅白の梅が植えられており、12月末から2月まで花が楽しめる。


【蓮池二重櫓跡】
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