八王子城 要害エリア



【登城路】
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 登城橋と登城口。花かご川に架かる土橋を渡ったところに登城口がある。 ここから登城するのが一般的なルートらしい。登城口横には石垣も残っているが、 当時のものかは分からない。


【登城路】
image-1  あしだ曲輪の上から続く登城路。こちらは金子曲輪などの曲輪群を通るルート。 今回はこちらを通る。

【腰曲輪】
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 あしだ曲輪からのルートをしばらく登ると、馬蹄状の曲輪が続く。

【金子丸】
image-1 image-1  金子三郎左衛門家重が守っていたといわれている曲輪。尾根をひな壇状に造成し、 敵の侵入を防ぐ工夫がされている。現在は、この曲輸の南斜面に梅・椿・紅葉が 植えられてのどかな雰囲気になっている。

【櫓台】
image-1  金子丸から登っていくと、途中櫓台のような場所がある。

【柵門台】
image-1 image-1  尾根上の8合目に位置する柵門台。4つの路が交わる防御の要所。 との事だが、山王台向かう道は藪で見つけられなかった。

【高丸】
image-1 image-1  9合目の高丸。尾根続きに数段に渡って曲輪が続いており、一部石垣も残っている。 ここも尾根道と大手道と馬場道などが交わる要所。


【中の曲輪 下段】
image-1 image-1  登城路を登って最初に着く曲輪。ここから八王子神社の階段が続いている。

【中の曲輪 上段】
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 八王子神社のある場所が中の曲輪の上段。氏照は八王子城の築城にあたり、 八王子権現を城の守護神とした。これが「八王子」の地名の起源とざれている。 また、横の社は落城寸前に奥多摩へ落ち延びた横地監物が祀られており、 もとは奥多摩町にあったが、ダム建設で湖底に沈む為、ここに移設された。

【小宮曲輪】
image-1  三の丸とも一庵曲輪とも呼ぱれていた。狩野一庵が守備していたが、上杉景勝軍の奇襲により破られ、 落城につながったと言われている。

【本丸】
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 標高460mの山頂部に位置する本丸。あまり広くないので、大きな建物はなかったと考えられる。 落城時、城主不在の本丸は横地監物が守備していたと言われている。

【松木曲輪】
image-1 image-1  中山勘解由家範が守っていたといわれている曲輪。中の丸とも二の丸とも呼ばれていた。 天正十八年(1590)六月二十三日に前田利家の軍勢と奮戦したが、多勢に無勢で 防ぎきれなかったと言われている。この時の家範の勇猛ぶりが徳川家康の耳に入り、 その遺児が取り立てられ、水戸徳川家の家老になっている。

【松木曲輪 腰曲輪・石垣】
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 松木曲輪の一段下がったところには、家臣屋敷跡の腰曲輪が周囲を取り巻いている。 石垣もあるが、当時からのものかは良く分からない。


【本丸付近からの眺望】
image-1  非常に眺望が良い。天気が良ければ筑波山や富士山も見える、まさに関八州を見渡すと言われた 要所である事が分かる。