Japanese Castle

練馬城跡

練馬城跡について

 現在としまえんプールのハイドロポリスがある付近は、かつて「矢ノ山」と呼ばれており、 11世紀頃(平安時代末期)~15世紀末(室町時代)にかけて、石神井川流域を中心とする旧豊島郡あたりを 支配していた豊島氏の居城があった場所らしい。文明9年(1477)に太田道灌に攻められ、 城主の豊島平右衛門尉は江古田原の戦いで討ち死にし、生き残った将兵たちは本拠地である石神井城に敗退。 さらにそこも落城し、豊島氏は滅亡に追い込まれた。 江戸時代の絵図には急峻な山がが描かれているが、現在でも周囲と比べてると小高い山になっていることが分かる。 発掘調査によって、空堀・土塁の一部などが確認されているらしい。現在でも城の鬼門の守りの「城山稲荷」、 落城時に姫様が飛び込んだともいわれる「嬢ヶ淵」(城ヶ淵からの転?)などの名も伝わっている。 練馬城址公園として整備される計画もあるらしいが・・・
【石神井川】
 豊島園の北側を流れる石神井川。この南側が城域だったらしい。 この川が外堀の役割をしていたのかもしれない。