八王子城主北条氏照の家臣、小田野源太左衛門の屋敷跡と言われ、八王子城の出城の一つとして機能していたと考えられている。 天正18年(1590)の八王子城の落城とともに荒廃し、主郭部分も改変を受けていると思われるが、2郭構成であったと推定される。 都道建設に伴って昭知54~55年に発掘調査され、北東側に2段の腰曲輪、東側には土橋・堀・枡形遺構を中心とした防御施設等 重要な遺構が発見された。また、陶磁器類の破片・古銭・鉄砲の弾等も出土した為、工事はトンネルに変更され、 周辺も含めて昭和58年3月28日八王子城の一部として国の史跡に追加指定された。 |
【主郭】 |
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トンネルの真上、南北に長い主郭部。北側に幅の広い土塁が見られる。 |
【土塁】 |
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主郭の東側、一段下がった部分には土塁のような地形も見られる。
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【空堀跡】 |
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こちらも主郭の東側部分。堀跡なのかなぁ? |