河原城



【河原城】
 豊臣秀吉が鳥取城攻めで因幡地方に来た際に陣を張った場所で、当時は丸山城と呼ばれていた。 堀切、柱穴、郭などの中世山城らしい遺構があったらしいが、現在は鉄筋コンクリートの 模擬天守が建てられてしまい、それらの遺構は何も残っていない。やってはならない復元事業の 典型的な例。それどころか、城の名前も公募で決めたもので歴史的な由縁は何も無い。 ここまで来ると、むしろ歴史への冒涜としか思えない・・・
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【模擬天守】
 ふるさと創生事業の1億円で町のシンボルとして建てられた展望台。勿論当時はこのような天守は無かった。 誤解を招く建造物を建てるだけで無く、この模擬天守の建設により当時の遺構までも壊されており、 今は見るべき遺構は何も残っていない。
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【本丸】
 展望台が建つ一角は本丸という事で整備されているが、当時がどのような形状だったかは不明。 本丸を取り囲む壁も白漆喰で時代錯誤な上、狭間の作りもまるでなってない。
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【本丸からの眺め】
image-1 image-1  本丸からは千代川流域と鳥取砂丘まで眺望する事が出来る。この立地の良さ位しか 当時をしのばせるものがない。


【本丸〜二の丸】
image-1 image-1  本丸から二の丸の間は現在舗装され駐車場となっている。 この辺りも堀切くらいはあったろうに・・・


【二の丸】
 本丸と駐車場を挟んだ場所に位置する古墳広場が当時二の丸のあった場所と考えられる。 数段に分かれているが、これが当時の遺構なのかは定かで無い。
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