天神山城



【天神山城】
image-1 image-1  文正元年(1466)に因幡守護の山名勝豊により築かれ、山名豊国が天正元年(1573)に鳥取城に 本拠を移すまでの間、約100年間にわたり因幡国の政治的拠点だった。現在は主郭部分しか 残っていないが、当時は総延長2.6kmに及ぶ外堀を備え、その内側には城下町も形成されていた 壮大な規模を誇る城郭だった。発掘調査では中国製の陶磁器や古銭なども見つかっている。


【東側腰郭】
 現在は東側から城域に登る事が出来る。登城路の途中には腰郭のような削平地も見られる。
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【主郭北側】
 東側から回り込むようにして主郭の北側に出る。切岸も良く残っている。
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【井戸】
image-1  主郭北側に残るかなり大きな井戸跡。現在は主郭部分しか残っていない天神山城だが、 当時は壮大な城だった事をしのばせる。


【天守台】
 天守台の跡と思われる石垣。当時は高さ5mの石垣の上に三層の天守櫓が立てられていたらしい。
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【堀切】
 天守台から南に土塁が続き、その途中には堀切も形良く残っている。
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【土塁】
 天守台から南に続く土塁。この土塁上はあまり広くないが、 郭のようになっていたと思われる。
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【主郭南側】
image-1 image-1  主郭南側からは城の西側のの守りともなっていた湖山池が見渡せる。湖山池周辺では 弥生時代の遺跡や古墳なども数多く見つかっており、古くからこの辺りが栄えていた事が分かる。


【周囲】
 城の周囲には湖山池の水を引き込んだ二重の堀が巡らされていた。現在もその一部が 農業用水として現存している。
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