鳥取城 山上の丸



【登城路入口】
 天球丸の西側、御台跡の背後から中坂道と呼ばれる山上ノ丸への登城路の入口がある。 登城路は急な山道が続き、山上ノ丸までは約20分程かかる。
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【登城路一合目 八幡宮】
 登城路を登り始めてすぐのところにある八幡宮の石垣。武人の神である八幡神を祀った神社が 建立されていた。巻石垣を応用して築かれたという石垣は丸みを帯びた独特のもの。 この辺りまでを山下ノ丸と見ることもできる。
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【二合目〜三合目】
image-1 image-1  八幡宮の横を登っていくと、所々に石段が見られる。当時のものかは不明。

【五合目】
 五合目の腰曲輪に建てられた大権現の祠。大権現の南側にも腰曲輪は続いており、急な山腹にしては そこそこの広さがある。
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【五合目〜六合目】
image-1  五合目の腰曲輪を抜けた辺りから次第に勾配がきつくなり、しばらくつずら折りの道が続く。

【六合目〜七合目】
image-1 image-1  六合目辺りから所々に石垣が見られるが、中には石垣だか自然石だか分からないような石も多く転がっている。 この辺から石垣の石を切り出していたかもしれない。

【七合目〜八合目】
image-1 image-1  石垣を伴った曲輪の跡が残っている。この辺りが最も険しく、急な階段が連続している。

【八合目】
image-1  八合目の案内板の後ろにも石積みが見られる。

【八合目〜九合目 井戸】
image-1  八合目と九合目の間にある井戸。この登城路のすぐ横を通る竪堀にも水が流れており、 比較的水には困らなかったように思える。


【腰曲輪】
image-1 image-1  登城路を登り最初に出るのが、本丸・二の丸周辺を取り囲むように造られた腰曲輪。 ここを直上する階段が本丸と二の丸の間の虎口につながる。


【本丸東側虎口】
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image-1  本丸と二の丸の間を通る石段と、その上の虎口。石段は状態良く残っており、枡形が良く分かる。

【本丸】
 久松山の山頂を大きく切り開き、周囲を石垣を巡らせて築いた山上ノ丸の中でも中央部の 一段高い場所に位置する本丸。天守櫓の他、著見櫓・多門櫓、それらを繋ぐ走櫓などが建てられていた。 明治維新の頃まで建物が残っていたらしい。
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【天守台】
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image-1  本丸の北東隅に位置する天守台。城内最大の規模で、一辺は10間(約20m)、高さ3mある。 この天守台の上に天守櫓が建てられていたが、元禄5年(1692)の落雷により消失してしまい、 以後再建されなかった。中央には穴蔵があり、その周囲には礎石らしき石が並んでいるが、 東側の崩落が進んでおり、全体的に傾斜がかかっている。 宮部継潤創建の天守台を池田長吉の頃に拡張した痕跡が残っている。

【車井戸】
image-1 image-1  本丸中央部にある井戸。池田長吉が慶長7年(1602)から行った大改築の際に掘ったと伝えられている。 こんな山頂にありながら、現在でもしっかりと水が湧いているらしい。

【本丸南側虎口】
image-1  出丸へと下りる虎口があるが、石段も崩れており、旧状は分かりにくい。


【本丸からの眺め】
image-1 image-1  山麓との比高は200mあり、眺望が良い。北には鳥取砂丘、西には城下だった鳥取市街が見渡せる

【雁金山城・丸山城】
image-1 image-1  久松山から峰続きの雁金山城と、さらにその北の丸山城が見える。これらの出城は、 毛利氏から運ばれた兵糧を鳥取城に運び入れる際の中継地点として重要視されていた。


【太閤ヶ平】
image-1  本丸からは、秀吉が鳥取城を兵糧攻めする際に築いた太閤ヶ平の本陣跡が見える。 約50m四方の方形の土塁で周囲を固め、鳥取城との間は総延長700m以上の二重の竪堀が掘られていた。 織田信長の出陣を前提に築かれたもので、日本最高傑作の陣城と言われているらしい。


【出丸 南側】
image-1 image-1  本丸の南側に位置する出丸。本丸から下りる石段が崩れかけているため、 現在は立ち入り禁止になっている。

【本丸石垣】
 本丸南側の出丸から見た本丸の石垣。二段に分かれて、高さは10m近くあり迫力がある。
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【出丸 西側】
image-1 image-1  築城当時の大手道だった西坂を登るとこの出丸にたどり着く。この出丸の周囲には高さ2m程の 石垣が残っている。


【二の丸】
 本丸と虎口を挟んで南側に位置する南に位置する二の丸。現在は廃墟のような休憩所が建てられている。
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【二の丸石垣】
 二の丸の周囲は、一部草に覆われているものの、しっかりと石垣が残っている。
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【三の丸】
image-1 image-1  二の丸と尾根伝いに南側にある一段下がった曲輪が三の丸。ここにも一部に石垣が見られる。


【腰曲輪・虎口】
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image-1  三の丸の南側にも広めの腰曲輪があり、立派な石垣を伴った虎口の跡が残っている。 南の尾根方面を守る要所だったと思われる。

【竪堀】
image-1  腰曲輪の虎口を抜けた尾根沿いには竪堀が掘られている。整備された本丸周辺とは違い、 このあたりは中世山城っぽい雰囲気。

【腰郭】
image-1  尾根伝いに幾つかの小郭が連続し、それらの曲輪の先に現在は使われなくなったロープウェイ乗り場があった。 ここまでロープウェイ出来れたら楽だったろうな。


【西坂】
image-1 image-1  池田長吉により大手が現在の中ノ御門に改められるまではこちらが大手道だった。 現在は廃れているが、山上ノ丸まで目印のロープが張られている。

【西坂 石積み】
image-1 image-1  自然石か石垣なのかわからないような石積みが見られる。

【西坂 虎口】
 西坂の途中には虎口と思われる地形が残っている。
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【西坂 腰郭】
image-1 image-1  小規模な削平地が数多くみられる。