Japanese Castle

守山城跡

守山城跡について

 標高274mの二上山の支尾根に築かれた越中平野を見渡す要衝で、古くは南北朝末期からの記録が残っている。戦国期には越中守護代の神保氏の居城となり、一度は上杉謙信の攻撃も退けている。その後、佐々成政在城の頃に前田軍が攻め落とし、利長の居城となっている。利長が富山に移ると、急速に寂れて廃城となったと思われる。200年以上にわたり越中争乱の拠点として機能しており、越中三代山城の一つにも数えられているが、それにしては遺構が少ない。
【本丸】
 最高書に位置する本丸。標高259mの山頂にあるので、当時はそれなりの要害だったはずだが、現在はすぐ横に二上山万葉ラインが通っており、何の苦労もなくいきなり本丸に到達してしまう。山上の曲輪にしてはかなり広大だが、これと言った遺構は見られない。奥に平和観音像が建てられている。
【本丸南側】
 本丸の南側には腰曲輪が設けられており、その腰曲輪から本丸を見上げると、それなりの高低差でしっかし切り岸加工もされていることが分かる。遺構は少ないが、やはり上杉謙信の攻撃も一度退けているだけあり、それなりの城だったっぽい。
【本丸石垣?】
 本丸の一部には矢穴のある石垣が残っているとのことだったが、これのことではないだろうな? 矢穴もないし。訪れたのが真夏と言うこともあり、草が生い茂ってはっきりとした石垣は確認出来なかった。
【二の丸と三の丸】
 本丸の西側の尾根上には、尾根を削平して設けられた二の丸、三の丸が続いている。これらの他にも腰曲輪も見られ、それなりの居住性があったと思われる。
【本丸からの眺め】
 本丸からは越中平野が一望出来る。高岡城も見える。