Japanese Castle

白鳥城跡

白鳥城跡について

 富山平野を見渡せる標高145mの呉羽丘陵の最高峰に築かれた山城で、源平合戦の頃からの記録が残っている他、弥生時代の遺跡も発掘されており、古くから要衝だったことが分かる。戦国期には越中守護代の神保氏が居城し、上杉勢に攻められた記録も残っているが、富山城の佐々成政攻めの際に秀吉がここに陣を構えたことで有名。佐々成政の降伏後は安田城の詰めの城として慶長期まで存続したが、その後廃城となった。現在は城山公園となっており、枡形虎口や櫓台などの織豊系城郭特徴が良く残っているらしいが、藪が酷く時期によっては確認が難しい印象。
【石碑】
 城山スカイラインを北東側から城址に向かい、最初に見える駐車場が東出丸の近く。駐車場には『白鳥城址』の石碑が建てられていた。折角の写真スポットなのに、派手な車が気になるなぁ。
【東出丸】
 城山の中心部から、東の尾根上だいぶ離れた場所にある東出丸。周囲より小高くなっているが、技巧的な造りは見られず、西側の本丸方向にもなだらかな遊歩道が続いていた。
【北二の丸】
 東出丸から一旦車で移動し、今度は北二の丸から主郭部へ。北二の丸は南北に長い曲輪で、周囲は切り岸加工されているが土塁は見られない。南側の本丸との間には空堀が掘られている。
【本丸下郭】
 本丸の周囲には数段の郭があり、北二の丸から空堀を隔てた郭は本丸下郭。山城の郭としては結構広い。ここも土塁などは見られない。
【本丸下郭東側】
 本丸下郭の東側、一段下がった場所にも小郭が見られる。
【本丸】
 城山の最頂部に位置する本丸。東側半分は一段高くなった天守台となっている。ここからは礎石建物跡などが見つかっており、さらにその下からは弥生時代の遺跡も見つかっているらしく、古くからの要衝だった事が分かる。
【天守台】
 本丸の東側半分を占める天守台。本丸から見ると藪に見えるが、一段高くなっておりこちらが本当の最高所。いずれの郭もしっかりと削平されて、それなりの広さもあるが、ここに来るまでこれと言った技巧的な遺構を確認出来ず、割と物足りない感は否めない。
【二の丸】
 本丸から藪の中に辛うじて整備されている東側の遊歩道を下りたところにある二の丸。ちょっとした腰曲輪と言った感じの小曲輪で、二の丸と呼ぶには少し寂しい。この東側には三の丸があるらしいが、藪が酷くて確認出来なかった。
【本丸空堀】
 二の丸から、本丸の東側下を行くと本丸の空堀が見られる。堀も深い藪に覆われて判然としないが、草がなければそれなりの深さがありそう。今思えば、この辺りが一番の見所だったかな。
【西一の丸】
 今度は本丸の西側に回り西一の丸へ。相変わらずこれと言った遺構は見られないものの、この辺りにも腰曲輪が見られ、郭の数だけはかなり多い。
【西二の丸】
 西二の丸は判然としなかったが、西一の丸から西に向かう遊歩道が小高くなった場所と、緩やかながらも掘切っぽい場所があったので、そのあたりが西二の丸と思われる。
【西出丸】
 尾根伝いに遊歩道を西に行くと西出丸に出る。この辺りで、尾根を断ちきるようなしっかりとした掘切が見たいところだが、特に見当たらない。
【西出丸西側】
 西出丸から先もこれと言った遺構は見られないまま、ダラダラと尾根道が続く。西側の駐車場近くでようやく掘切っぽい地形が見られるが、これは自然地形かなぁ?
【白鳥城からの眺め】
 標高は145mとさほど高くないが、周囲に高い山などがないため、富山方面が見渡せる。富山城攻めの拠点としては絶好の場所だっただろう。