天神山城
天神山城について
魚津城の北東、標高163mの独立丘上に築かれた山城。松倉城の支城として整備されたと考えられているが、
山頂から弥生式土器が見つかっていることから、古くから何らかの形で使われていたと思われる。
戦国期は上杉家の城として機能し、織田勢が攻めてきた際には、魚津城の救援に来た上杉景勝が本陣とした場所として知られている。
ちなみに、色々なところに『天神山』があるが、ここは当初松尾山と呼ばれていたが、足利義稙(当時義材)が
天神像をこの山に祀ったことから天神山と改められたらしい。
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【腰曲輪】 |
西側の歴史民俗資料館の方から登城する。訪れたのが真夏だった事もあり、藪で判然としない登城路を上っていくと、
途中、腰曲輪と思われる場所が随所に見られる。
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【竪堀】 |
山腹には数本の竪堀も残っているが、こちらも藪ではっきり見れないものも・・・ やはりこの手の山城は冬に来るべきだな。
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【二の丸】 |
相変わらずの藪の中の微妙な登城路を上ると、山頂近くの二の丸に出る。今までの腰曲輪と違い、まとまった広さの削平地
となっている。建物が建てられており、そのすぐ背後が本丸。
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【本丸】 |
二の丸から一段東に上がった天神山の最頂部に位置する本丸。東西に長い曲輪で二段になっているが、
西端には二の丸と同じような建物が建てられている。
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【本丸櫓台】 |
東西に長い本丸の中央部に一段高く残っている櫓台跡。この東側に土塁が続いており、ここも櫓台と言うよりは、
ちょっと幅の広くなった土塁とも言える。当時はこのあたりに天守とは言わないまでも、物見のような櫓が建てられていたのだろう。
現在は祠が建てられているが、足利義稙が祀ったという天神像が入っているのだろうか?
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【本丸からの眺め】 |
上記の本丸櫓台からは魚津城が本丸跡からは魚津城方面が見渡せる。魚津城との直線距離は3km程度。
現在の魚津城跡は小学校となり目立たないが、当時ははっきりと見えたことだろう。
この距離で助けられないのは辛いな・・・
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