雑賀城跡



【雑賀城跡】
image-1  戦国期に、雑賀党の頭目だった鈴木佐大夫重意により築かれた。 天正5年(1577)の織田信長の紀州征伐の際には雑賀衆の重要な拠点として機能したと思われる。 廃城時期は不明だが、遅くとも秀吉が紀州征伐をする天正13年(1585)には廃城となっていた と考えられている。信長を苦しめた城としては驚くほど規模が小さく、遺構も殆ど残っていない。


【山麓】
image-1 image-1  城域の東側山麓にある公園。この公園から本丸への登城路が設けられている。 この辺りに居館があって、池は堀か庭園の跡と見たい気もするが、そういう時代でも規模でも無い。


【登城路】
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 山麓の公園から山頂に続く登城路。山頂の妙見神社の参道となっている為、 一応整備されている。当時の登城路かは不明。途中に遺構も見られない。 ここの他に、住宅街に出る登城路もあるらしい。


【本丸跡】
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 本丸があったと思われる山頂の曲輪。現在は妙見堂が建てられている。 かなり狭いが、周囲は微妙に切岸加工がされているような雰囲気もある。