和歌山城 天守曲輪
天守曲輪
| 【天守曲輪】 |
標高49mの虎伏山の西峰山頂に建てられている天守曲輪。最初の天守は浅野幸長時代に建てられ、この頃山上の曲輪郡も整備された。大天守・小天守の他、乾櫓、二之門櫓が建てられ、それらを多門櫓で繋いだ堅固な造りだったが、弘化3年(1846)に落雷により焼失した。通常、天守の再建は許可されなかったが、御三家と言う事で『有形の通り』との条件付きで許可され、嘉永3年(1850)に再建された。明治期に廃城後になったも天守は残り旧国宝に指定されていたが、昭和20年7月の和歌山大空襲で全焼した。現在見られる天守は、昭和33年に鉄筋コンクリートで建てられたものだが、外観は焼失前の天守に復元されている。
|
| 【楠門】 |
天守曲輪の南に設けられた楠門。総楠木造りの贅沢な門だったらしい。天守曲輪の建物は基本的には鉄筋コンクリートで復元されているが、楠門は唯一木造で復元されている。天守曲輪の東側の一の門に対して、天守二之御門とも呼ばれていた。
|
| 【二之門櫓】 |
本丸の南西隅、楠門に隣接する二之門櫓。特徴のある曲線状の狭間も復元されている。
|
| 【大天守】 |
天守曲輪南東部に建てられている三層三階の大天守。不整形な天守台石垣に合わせて、一重目は菱形で築かれている。幕末の再建天守を見事に復元してあるが、多くの破風が設けられた装飾にとんだ天守だった事が分かる。内部は基本板張りで、最上階のみ畳敷きとなっていた。北側の小天守を経由して入る造りになっている。
|
| 【小天守】 |
大天守の北側に連結する小天守。大天守へは、小天守の玄関から入る造りになっていた。玄関の外観も古写真と比べると、幕末再建時のものが良く復元されており、かなり開放的だった事が分かる。ここにも曲線を伴う石落としが設けられている。
|
| 【乾櫓】 |
本丸の北西隅、戌亥の方角に位置する乾櫓。二層二階。ここにも曲線を伴う石落としが設けられている。
|
| 【埋門】 |
天守曲輪北側に設けられた埋門。北側山腹にあった黄金水と呼ばれた井戸がある水の手に至る門として設けられたらしい。この門の上辺りに御台所がある。
|
| 【御台所】 |
天守曲輪北側、埋門近くの多門櫓にあった台所跡。ここにあったと言うだけで、何が残っているわけでもない。
|
| 【多聞櫓】 |
北側の多門櫓は一部が石垣からせり出して建てられている。不定形の天守曲輪の周囲ならではの苦労の跡。これも当時の復元なのだろう。
|
| 【天守曲輪石垣】 |
天守曲輪の石垣は、天守再建時にも積み直されなかったようで、築城当初の古い石垣が残っている。隅部には宝篋印塔の台座などの転用石が見られる。
|
| 【天守内部】 |
外観は見事に復元されているが、内部はやはり鉄筋コンクリート。資料館となっており、葵のご紋をあしらった紀州徳川家ゆかりのものなども展示してある。
|
| 【蔵跡?】 |
天守の存在ははっきり確認されているのは関ヶ原以降に入った浅野氏からだが、秀長時代にも天守が建てられていたと言われている。それが現在の天守の北西側に一段下がった場所にあった蔵との説があるらしいが、この櫓台のような出っ張りの部分だろうか? 何かが建てられていた感はある。
|
| 【天守一の門跡】 |
天守曲輪のある西峰の東端、本丸との間に設けられていた天守一の門跡。両側の石垣とともに門の礎石も残っている。この東側に本丸御殿が建てられていてた。
|