畑谷城



【畑谷城】
image-1  比高70mほどの館山山頂に築かれた山城。築城時期は不明ながら、 村山地方と置賜地方の境界付近の要衝の地であり、古くから城のようなものは 建てられていたと思われる。戦国期には、最上氏の本拠、山形城の支城として 置賜地方を領した伊達氏や上杉氏に備える最前線の城として機能した。 慶長5年(1600)の「北の関ヶ原」とも呼ばれる慶長出羽合戦において、 直江兼続率いる2万の上杉軍との最初の激戦地であり、2日間の攻防の末、 城主・江口五兵衛光清以下500人余が討ち取られて落城した。 現在も空堀などが比較的良好な状態で残っており、南東麓の長松寺には江口光清の墓がある。


【東部大空濠】
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 城山の東山麓、尖り森との間に設けられた方形の館部分。約120m四方の規模があり、 深さ7〜8m程の空堀と、尖り森方面からの攻撃に備えた高い土塁によって囲まれている。 しかし、ここまで頑張っても結局上杉軍が進行してきた際は、尖り森から館内部に 鉄砲を打ち込まれたらしい。

【街道】
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 東部大空濠を南北に抜ける街道跡。当時から重要な街道で、東部大空濠は この街道を守る役割も担っていたと思われる。

【東部大空濠 空堀】
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 街道沿いに掘られた大規模な空堀。方形の館部分まで続き、西に直角に折れ曲がり 館部分の二重堀を形成している。また、この空堀の南側下には首洗い池がある。

【首洗い池】
image-1  空堀の南側に残る小さな池。慶長出羽合戦の際には自刃した城主、 江口光清の首を洗ったと言われている。

【竪堀】
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 東部大空濠の方形の横堀と土塁は城山の山腹まで続き、竪堀となっている。 現在でも中腹まで良く残っており、大手道沿いに見る事が出来る。

【夜念仏供養塔】
image-1  方形の土塁の片隅に置かれた供養塔。慶長出羽合戦で落城した際、 300人とも500人とも言われる城兵の他、村人も撫で切りにされている。


【大手道】
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 東部大空濠からの登城路が当時の大手道だったらしい。現在は細い山道が続き、 途中主郭の東側の空堀を通るが、こちらの空堀は草で形状が分かりにくい。


【主郭】
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 標高549mの山頂に位置する東西19m、南北29mの主郭。周囲は切岸加工されており、 その外側には帯郭や空堀が巡らされている。

【搦手】
image-1 image-1  本丸北側が搦手だったらしいが、はっきりとした遺構や道は残っていない。

【空堀曲輪】
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 主郭西側の一段下がった場所に位置する腰曲輪。この腰曲輪の西側には二重堀が掘られている。

【主郭西側空堀】
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 主郭西側に残る巨大な空堀。堀底の中央に畝のような土塁があり、 二重堀のようなつくりになっている。現在は階段が設けられているが、 階段がないと歩くのが難しいほどの急勾配。

【南側虎口】
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 主郭南側の虎口跡。登城路が直角に曲げられているが、現状では詳しい形状は分からない。

【南側空堀】
image-1 image-1  南側の登城路の脇に見られる空堀。西側の堀が南側虎口に近くまで回り込んでいるが、 規模はだいぶ小さくなっている。

【南側登城路】
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 主郭の南側にも登城路があり、現在はこちらの方が道幅も広く一見大手に見えるが、 これは近年拡張されたものらしい。


【主郭西側】
image-1 image-1  主郭の西側は、尾根づたいになだらかな斜面が150m程続いている。 この辺りはほぼ自然地形のままと思われる。


【西部三重空濠】
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 城域の西側を断ち切る大規模な三重堀。三重堀となっているが、実際に現在はっきりと 残っているのは二重堀で、一部東側にも堀跡のような溝が見られる。 上杉軍侵攻の知らせを受けてから早急に掘られたものと言われており、 南側は麓まで掘られているが、北側は未完成。


【長松寺 江口光清の墓】
image-1 image-1  山麓の長松寺境内にある江口光清の墓。江口光清は最上義光から『光』の字をもらうなど、 最上義光からの信頼が厚く、重要な上杉軍との境目の城を預かっていた。 直江兼続が率いる上杉勢が攻めてきた際、明け逃げの指示を断り最後まで抵抗し、 この城で自刃した。


【内城】
image-1  城山の南西麓にある内城地区。この辺りに江口氏の居館があったらしい。