【居館跡】 |
---|
城山の東側山麓、大樽川との間に広がる居館跡。館山東館とも呼ばれる広い敷地内には、 多くの井戸跡の他、庭や敷石の遺構や短剣なども出土している。ここが政宗の誕生の地 だったとすれば、これらの井戸のどれかが産湯の井戸だったかもしれない。 |
【居館跡】 |
---|
ちなみにこの居館跡は私有地らしいが、『私有地に付、立入り大歓迎』 との札が建っていた。 ありがたいなぁ。 |
【街道】 |
---|
居館跡近くを通る街道跡。ここに城があった当時から使われていた街道で、 大樽川を渡る橋の橋脚跡も残っているらしい。橋の手前には虎口があったと思われる。 |
【伊達政宗生誕の地】 |
---|
街道跡の横に建てられた『伊達政宗生誕の地』の札。米沢城ではこの石碑バージョンを 見た気がする。お互いに譲れないところなのだろう。 |
【大樽川】 |
---|
居館跡のすぐ横を流れる大樽川。天然の堀の役目を果たしている。 伊達氏は川沿いの山を居城にするのが好きらしい。 |
【大手道】 |
---|
居館跡から山上へと続く大手道。城山の南側山腹につづら俺の細い登城路が残っているが、 発掘調査の結果、当時はもっと広かったものが崩された形跡があるらしい。 伊達政宗が移る際に破却されたものと思われる。 |
【大手道】 |
---|
ちなみに、大手道の手前にはパンフレットと飲料水が。地元の保存会の方々が 用意してくれているらしい。飲む勇気は無かったが、ありがたい。 |
【二郭 南門跡】 |
---|
大手道を登ると、山上の二郭への虎口である南門跡に出る。一段下がった内枡形の形状が はっきりと残っている。当時はここに南門が建てられていたと思われる。 |
【二郭】 |
---|
尾根の先端に設けられた二郭。西側と北側の一部に土塁が残っている。 主郭との間の堀と土塁の形状が独特で、こちらを主郭と見なす場合もあり、 実際に現地の立札ではこちらが主郭となっていた。 |
【二郭 東側】 |
---|
二郭の西側は発電所の設備の為に改変されており、ここからも山麓から直上出来るように なってしまっている。ちょっとげんなりしてしまうポイント。 |
【二郭〜主郭 枡形】 |
---|
二郭と主郭との間の虎口。現在発掘調査中だが、石垣を伴う規模の大きな枡形が見つかっている。 二郭側に出た外枡形だが、二郭を主郭とすれば内枡形とも見れる。どちらかが先に落とされても、 大丈夫なような造りだったのかもしれない。 |
【主郭側の空堀】 |
---|
枡形部分以外の主郭と二郭の間は、土塁と空堀によって隔たれているが、 空堀は主郭側に掘られている独特なつくり。この辺りを見ると、どちらが主郭として 意識していたのか分からなくなる。伊達氏が在城していた当時は、深さ6m、幅12mにも およぶ巨大なもので、尾根を断ち切り竪堀となって山腹まで続いていたらしい。 |
【主郭】 |
---|
二郭の西側に位置する約60m四方の主郭。南側は急峻な崖になっており、 それ以外の三方には土塁が残っている。 |
【主郭 西側土塁】 |
---|
主郭西側の土塁。高さ6〜7mに及ぶ巨大な土塁で、外側の二重の空堀とともに、 尾根続きの城域の西側を強力に守っている。 |
【主郭 北門跡】 |
---|
主郭の北西隅に位置する北門跡。巨大な土塁横に内枡形の土塁が残っている。 |
【搦手】 |
---|
主郭北門を出たところに残る搦手。訪れた時は藪になっていたが、 ここから北側斜面を通って山麓の館山北館方面に下りる道があるらしい。 |
【北側帯曲輪】 |
---|
本丸西側の巨大な土塁の北側を回り込むように設けられた帯曲輪。 この先に二重堀切がある。 |
【二重堀切 東側】 |
---|
城域の西側は二重の堀切で断ち切られている。東側の堀切は幅約15m、さ6〜7mに及ぶ 巨大もので、尾根幅も広いので横堀のようにも見れる。現在は発電用の水路が通っているので、 一部改変されているかもしれない。 |
【二重堀切 西側】 |
---|
二重堀切の西側も規模の大きなものだが、藪で遺構が良く分からない。 |
【櫓台】 |
---|
二重堀切の南側にある櫓台のような土塁。この辺りも藪がヒドくて近づけない。 |
【小樽川】 |
---|
城山の北を流れる小樽川。南側を流れる大樽川とともに城の外堀の役目を果たしていた。 |