米沢城 林泉寺



【林泉寺】
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 明慶5年(1496)に上杉謙信の祖父、長尾能景に寄って越後に創建された長尾、上杉家の菩提寺。 慶長6年(1601)の上杉家の移封とともに米沢に移った。上杉家歴代の正室の廟所をはじめ、 直江兼続夫妻などの重臣の墓が建てられている。また、本堂の裏手には米沢3名園の一つに 数えられている廻遊式の庭園もある。


【林泉寺表門】
image-1  林泉寺の表門は、上杉鷹山が藩主だった頃の家老、竹俣当綱家の門を移築されたもの。 明治期に寄進された当時は茅葺きだったが、近年の改修により板葺きとなった。


【直江兼続の墓】
image-1 image-1  上杉家の重臣で、米沢藩の基礎を築いた直江兼続と妻のお船の墓。 五輪塔を覆う万年堂の正面には、直江家の家紋である『三盛亀甲花菱紋』が掘られている。 兼嗣は元和5年(1619)に60歳で死去し米沢徳昌寺に葬られ、その後妻のお船も 寛永14年(1637)に死去し同寺に葬られたが、林泉寺に改葬された。


【武田信清の墓】
image-1  上杉家ゆかりの墓地に武田信玄の6男、武田信清の墓がある。 天正10年(1582)に武だ家が滅亡した後、信清は菊姫の縁故により上杉家に身を寄せたらしい。 その後、江戸時代でも高家衆として処遇されたとの事。


【林泉寺】
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 直江兼続、武田信清の墓の他にも、謙信譜代の重臣である鉄泰忠、謙信、景勝に使えた 剛勇の甘糟景継、赤穂浪士討ち入りの際に玄関先で浪士と渡り合い討ち死にした新海弥七郎など、 多くの重臣達の墓が並んでいる。


【正室の廟所】
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 上杉謙信の姉で景勝の母である仙洞院や武田信玄の娘であり、上杉景勝の正室でもある菊姫。 鷹山の側室のお豊などの、歴代の上杉家の妻子や子女の廟所が並んでいる。