萩城 二の丸



【二の丸】
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image-1  本丸の南側に位置し、東西を海、南北を水堀で囲まれた堅固な曲輪。外周には13基の櫓が設けられ、 それらの櫓と土塀で守りを固めていた。外側を巡っていたの中堀は現在は埋め立てられているが、 周囲の石垣は現在も良く残っている。内部には蔵元役所などが建てられていた。


【二の丸南門跡】
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image-1  二の丸南側中央に設けられた南門跡。大手にあたる門で、二重枡形の堅固な造りだった。 当時は南門の前は中堀だったが現在は埋められている。枡形内部に毛利輝元の座像が建てられている。


【塩櫓跡】
image-1  南門を入り、道沿いに右に折れたところにある塩櫓跡。高さ2m程の櫓台石垣が残っている。


【二の丸東門】
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image-1  大手にあたる南門同様、二重枡型の堅固な造りとなっているが、南門とは形状が異なっていた。 これは、南門が吉川広家が普請したのに対し、益田元祥が普請した事によるらしい。 打ち込みは義の見事な石垣が残っており、当時は石垣上に東櫓が建てられていた。


【二の丸東側】
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image-1  海岸線に面した二の丸の東側には、多くの櫓が設けられ、そのいくつかは塁線から突出し守りを固めている。 現在も北端の三摩地院櫓跡までの石垣が良く残っている。


【華櫓跡】
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image-1  二の丸東側塁線の南にある華櫓跡。高さ2m程の石垣と櫓台に上るための階段、 その横の平虎口が残っている。


【紙櫓跡】
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image-1  華櫓の北側に位置する紙櫓跡。二の丸内部はここで区画されていたらしく、食違い虎口の石垣が残っている。 この紙櫓跡から北側の潮入門跡までの間の土塀が復元されている。


【復元土塀】
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image-1  二の丸の東側、潮入門跡と紙櫓跡との間の石垣上に昭和40年に復元された土塀。 中途半端な感じだが、一応狭間も復元されている。せめて両側の櫓まで復元されていれば、 もう少し雰囲気出たのになぁ。


【潮入門跡】
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 海への出入り口として設けられた潮入門跡。他の虎口が二重枡型などで厳重に守っているのに、 ここだけ平虎口というのは少し違和感があるが、海への出入り口だからこれで良かった と言う事なのかな?


【荒川櫓跡】
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 潮入門跡の北に位置する荒川櫓跡。海に突き出した高さ3m〜4m程の石垣が良く残っており、 遠くからでも確認できる。


【満願寺櫓跡】
image-1  荒川櫓跡の北に位置する満願寺櫓跡。横矢のようになっている部分に建てられていたものと思われる。


【三摩地院櫓跡】
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 二の丸の塁線の最北端に建てられた二重櫓で、海からの守りを固める重要な櫓だった。 櫓の横には海に通じる埋門が設けられており、特徴的な垂直な石垣が残っている。


【日本海】
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 二の丸東側に広がる日本海は本当に綺麗。また、海岸線には矢穴の残る石が数多く残っている。


【東園】
image-1  本丸の北東に設けられている回遊式の庭園。歴代藩主により整備され、池の側には茶屋もあった。 農業を重んじた2代藩主綱広はここに稲田を造り耕したらしい。明治維新後に一時埋められたが、 大正14年(1925)に復元された。


【八間櫓跡】
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image-1  二の丸の東側には多くの櫓が建てられているのに対し、西側はこの八間矢倉と青海櫓しか 建てられていない。高さ1.5m程の石垣が残っており、当時は石垣上に二重櫓が建てられていた。 北側の石垣は崩れ放題になっているが、修復する予定はないのだろうか?


【二の丸西側石垣】
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 八間櫓から南の青海櫓まで、二の丸西側の石垣が残っている。現在は外側も埋められて 公園や民家などになっており、石垣も街中に埋もれているが、当時はこの石垣は海に面していた。 この辺まで確認に来る観光客はほとんどいない。


【二の丸西側】
image-1 image-1  二の丸の西側は、現在は埋め立てられて石彫公園となっている。


【青海櫓跡】
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 二の丸の南西隅に位置する青海櫓跡。現在は外側が埋め立てられ街中に埋もれているので、 青海櫓と言われてもピンと来ないが、当時はこの櫓の外側は青い海だったのだろう。 古絵図によると二重櫓が建てられていた。

【西側虎口】
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 青海櫓跡のすぐ横に設けられた虎口の石垣。内枡形の石垣が良く残っている。 当時は西側の海への出入り口として使われていたと思われる。