萩城 三の丸



【三の丸】
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 三の丸は二の丸の南に位置し、藩の役所や家老、寄組等の侍屋敷が建ち並んでいた。 現在でも当時の町並みが良く残っており、大半が重要伝統的建造物群保存地区とやらに 選定されている。


【厚狭毛利家萩屋敷長屋】
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 毛利元就の五男、毛利元秋を始祖とする毛利家の一門である厚狭毛利家の長屋。 大手門の南の要地に建てられた、萩に現存する最大の長屋で、桁行51.5m、梁間5m、面積は約 15500m2に及ぶ。棟札によると、10代元美の時、安政3年(1856)に建てられた。 現在は内部が公開されている。


【三ノ丸外堀】
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 三ノ丸の東側に位置し、三ノ丸と城下町とを隔てる外堀。南北に全長740m程あり、 元和8年(1622)に完成した当初は幅20間(約40m)の幅があったが、次第に埋め立てられていった。 この堀沿いに北の総門と中の総門、平安古の総門の三門が設けられ、通行を監視していた。 発掘調査により、江戸期の建物跡の他、食器などが見つかっている。 また、三ノ丸側の一部に残存土塁のような土盛りも見られたが、当時の遺構かは定かでない。


【北の総門】
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image-1  城下から三ノ丸に入る城門として中の総門、平安古の総門とともに築かれた門で、 これらは大手三つの門と呼ばれた。昼間は門番が常駐して出入りを監視し、夜間は門を閉じて 鑑札を持った者しか通れなかった。古絵図によると、元文年間(1739〜1740)頃に再整備され、 土塀を伴う枡形と船着き場が設けられたと思われる。他の二つの総門とともに明治4年(1871)に 解体されたが、近年、発掘調査を元に再整備され、脇戸付の日本最大級の高麗門などが復元された。


【口羽家屋敷】
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 三ノ丸に残る口羽家の屋敷。口羽家は元は毛利氏の庶流であり、藩の寄組士として毛利家に仕えた。 江戸時代中頃に建てられた表門と主屋が現存しており、中でも表門は萩に現存する最大の長屋門で、 重要文化財に指定されている。


【鍵曲】
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 敵の侵入や攻撃に備えるため、左右を高い土塀で囲み見通しを悪くして迷路のように曲げられた道路。 特に口羽家住宅近くは当時の面影を良く残しており、重要伝統的建造物群保存地区とやらに選定されている。