長山城跡

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 慶長元年(1595)防長2州を与えられた際に、毛利秀元の居城として築かれた。 しかし、関ヶ原で破れ、大幅に減封された毛利氏は萩に移る事となり、それに従い 毛利秀元も櫛崎城に移った為、未完成のまま廃城となった。 現在は亀山公園となっているが、遺構はほとんど残っていない。


【水堀跡】
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 公園の北側山麓に位置する東西50m程の細長い池。これが唯一とも言える城の遺構の堀跡らしい。 公園化されているが、そう言われると、確かに堀にしか見えない気がしてくる。


【春日山】
image-1  水堀を隔てた北側に位置する春日山。当時は出曲輪のような役割を担っていたかもしれない。


【北側登城路】
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 城域北側の登城路。遊歩道となっており、遺構らしい遺構は見当たらない。


【本丸跡】
image-1  比高20m程の独立丘の頂部に位置する本丸跡。それなりの広さはあるが、 特に周囲が切岸加工されている感じもない。現在は毛利敬親の銅像が建てられている。

【毛利敬親騎馬像】
image-1  毛利藩の13代藩主毛利敬親の騎馬像。幕末に藩庁を萩から山口に移し、明治維新を牽引した。


【南側腰郭】
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 本丸の南側は数段に削平されており、城跡と思ってみれば腰曲輪のような遺構と 見えなくもないが、公園化されているし、どこまでが当時の遺構かは分からない。


【ザビエル記念聖堂】
image-1  南側の山腹に建てられているザビエル記念聖堂。日本に最初に渡ったキリスト教宣教師の ザビエルをたたえて建てられたらしい。この辺りも曲輪だったかもしれない。

【ザビエル像】
image-1  ザビエル記念館の近くに建てられているザビエル像。 山口の大殿小路の井戸端で布教活動をしている像らしい。