築山跡



【築山跡】
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 大内氏館の北西に位置する築山跡。15世紀中頃に大内教弘により築かれたと言われている。 教弘以降の歴代当主の居館となった場所で、豪華な庭園なども造られており、特に築山が見事だったため 築山御殿と呼ばれた。大内氏滅亡後も庭園跡は残っていたらしいが、江戸時代中頃に土塁の土で 埋められてしまい、現在は北西隅の土塁の一部が残っているのみ。 境内には築山神社と八坂神社が建てられている。


【八坂神社】
image-1  境内に建てられている八坂神社は大内弘世が京都から勧請したもので、何度か移されているが、 本殿は永正17年(1520)に大内義興により建てられたままのものらしい。 現在は重要文化財に指定されている。


【土塁】
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 北西部には高さ2m程の堅固な土塁が残っている。江戸時代末期の絵図によると、 土塁の外面は自然石の大石を用いた石垣が築かれていたが、幕末に山口城を築く際に運び去られた。