小山城


【小山城】
 浅川扇状地北端の小丘を利用して構築された武田時代の城。主郭部は方形で面積は12,046m2。 宝徳2年(1450)穴山伊豆守が居住しており、小石和の武田信重館を攻めている。永正(1504)の頃は、 穴山伊予守信永が居住し、大永3年(1523)に鳥坂峠を越えて侵入してきた南部下野守と 花鳥山で戦った後、小山城で防戦したが、二ノ宮常楽時へ落ちた。その後は南部氏が居住したが、 天文17年(1584)武田晴信の為罪を得て城を捨て廃城となった。天正10年(1582)甲斐国争乱の時、 御坂城の北条勢に対する徳川家康が鳥居彦右衛門にこの城を修築させ、騎馬130、雑兵600人を もって守らせたと伝えられている。


【東側虎口】
 東側にある虎口。幅は約10mで脇に石組みが残っているとの事だが、確認できなかった。


【東側土塁】
 底辺が約15m、高さ3〜5mの土塁が良く遺っている。


【南側空堀】
 東から南にかけての空堀が最も良く残っており、幅は5〜8m程ある。


【北側土塁】
 北側の土塁は良く残されており、現在東屋がある隅の平坦部は櫓台と考えられ、 礎石も現存しているらしい。この土塁の外側は天川の急崖となっている。


【西側土塁】
 草に覆われてわかりにくいが、土塁の外側には堀も残っている。


【南側土塁】
 中央部付近が大きく削平されているが、これは公平の改変によるものと思われる。