三方ヶ原古戦場
三方ヶ原古戦場
【三方ヶ原古戦場】 |
三方ヶ原の戦いがあったとされる場所は良く分かっていないが、浜松城から北に数キロの現在三方原墓園あたり一帯と思われる。信玄は本陣を置いたと言われる根洗松からも近い。墓園には 『三方ヶ原古戦場』 の石碑も建っている。
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【犀ヶ崖古戦場】 |
犀ヶ崖と呼ばれる範囲ははっきりしないが、この付近から下流約450mの間に、幅約30m両岸とも深さ10数m急な崖が連続している。
元亀三年(1572)12月22日、徳川家康は、三方ヶ原において武田信玄に一戦を挑んで敗れ、浜松城に逃げ帰ったが、その夜
犀ヶ崖付近で徳川方が、地理に暗い武田方を急襲して、この崖に追い落としたと伝えられるが、かなり誇張されているフシもある。
昔は40m程の深さがあったと言われている。
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【本多肥後守忠真顕彰碑】 |
本多忠真は、徳川家草創期を支えた徳川四天王の一人である本多忠勝の叔父にあたる武将。本多忠真は、三方原の戦いで
武田軍に大敗し撤退に際し殿(しんがり)を買って出た。道の左右に旗指物を突き刺し、「ここから後ろへは一歩も引かぬ」と言って、
武田勢の中に刀一本で斬り込み、39歳でこの地で討ち死にしたと伝えられている。この碑は第17代本多子爵により明治24年に建立
されたもので、碑の題字「表忠彰義之碑」は、徳川家16代家達によって書かれている。
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【三方ヶ原古戦場】 |
犀ヶ崖にも 『三方ヶ原古戦場』 の石碑が建つ。
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