吉野ヶ里 歴史公園センター~南のムラ
歴史公園センター~環濠集落
【歴史公園センター】 |
吉野ヶ里は遺跡全体が歴史公園となっており、今回はメインの東側の入口から入場。入口には歴史公園センターなる立派な建物が建てられている。流石は国の特別史跡。
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【公園センター内展示室】 |
上記の歴史公園センター内の一部は展示室になっており、吉野ヶ里遺跡から出土した甕棺などが展示されている。ちなみに、この甕棺は吉野ヶ里からは3000基以上も見つかっている代表的な遺物だが、北部九州だけでしか使われていなかったらしい。
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【田手川】 |
歴史公園センターから公園内へ。途中、南北に流れる田手川を渡る。この川は吉野ヶ里の東側に面しており、当時は外堀代わりとして利用していたものと思われる。
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【東側虎口 環濠】 |
川を渡ってすぐに見えてくる環濠集落の入口。入口にはそれっぽい冠木門が再現されており、その両側には環濠が復元されている。城の守りは堀を堀り、掘った土を内側に盛る事により、堀との高低差をつくり外部から侵入しにくくするのが日本の城の常識だが、吉野ヶ里では、掘った土を外側に盛って土塁としているのが最大の特徴 と言うか何故こうなったのかよく分からない。明らかに外から入りやすく、中から出にくい構造になってしまっているように見える。環濠集落のルーツは南モンゴルで、朝鮮半島を経由して日本に伝わったらしいが、モンゴルなどでもこのような造りなのだろうか? ちなみに、ここ以外だと唯一山梨県の谷戸城でもこのような造りの堀と土塁が見られる。
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【乱杭】 |
堀の内側には多くの杭穴が見つかっており、侵入者を阻む乱杭が設けられていたと思われる。中世城郭で言うところの逆茂木にあたるもの。そこまで頑張って守っていたなら、やはり堀と土塁は反対にした方が良い。
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【展示室】 |
環濠集落の入口を入って右側、南内郭の近くに建てられている展示室。展示室内には遺跡内から見つかった土器や甕棺などが展示されており、一部触れるものもある。また、ここからは鏃が刺さったままの人骨や、首から上がない人骨が入った甕棺も多く見つかっており、この資料館にはそのまま展示されている。
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南のムラ
【南のムラ】 |
環濠集落南側は『南のムラ』と呼ばれ、庶民が濃厚や生活に必要な道具造りを行いながら生活していた場所と考えられている。
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【ムラ長の家】 |
南のムラ内に復元されている住居のうち、ひときわ立派なものがムラ長の家と考えられている。住居の他、倉庫や集会所なども見つかっている。
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【祭壇】 |
南のムラの中でも最も南にある基壇状に土を盛った祭壇。南のムラ形成以前から造られていたと考えられている。
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【環濠】 |
南のムラに再現されている環濠。形状的には土塁の外側に空堀が掘られているように見えるが、位置的には恐らく逆。空堀側が内側で、やはり土塁側からの防御を想定しているものと思われる。何だかしっくりこないな。
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