文明3年(1471)から天正元年(1573)までの103年間にわたり、越前の守護大名朝倉氏の拠点となった場所。 この地域の政治・文化の中心地で、当時応仁の乱で荒廃した京から多くの公卿や高僧、文化人などが下向し『北の京』とも呼ばれていた。 城域は下城戸と上城戸と呼ばれる土塁に囲まれた南北1.7km程の谷間の部分で、城主の居館を中心に家臣の屋敷、町屋などが 計画的に区画されていた。しかし、11代義景は織田軍に大敗し、先方の柴田勝家により手当たり次第に火をかけられ、 三日三晩燃え続け、朝倉氏の滅亡とともに越前の中心としての役割を終えた。 現在は国の特別史跡に指定され、武家屋敷の復元などが進められている。 |
【朝倉氏館跡】 | 【上城戸・下城戸】 | 【武家屋敷他】 |
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