杵築城
杵築城について
明徳4年(1393)頃に大友氏の一族である木付頼道が築いたのが始まりで、南北を川に挟まれ海に突出した台山と呼ばれる山上部分に城の主要部がおかれた。満潮になると完全に周囲を海に囲まれる難攻不落の城で、何度か攻められているが落城しておらず、天正14年(1586)の豊薩戦争時には、島津軍により2ヶ月間にわたって攻められたが、木付氏は籠城し守り抜いている。しかし、朝鮮出兵後に大友義統が幽閉されると、木付親子は入水自害し木付氏は滅んび、その後、城主は次々と変わる。慶長5年(1600)の関ヶ原の頃は、細川忠興配下の城となっており、西軍についた旧領主であるの大友義統が攻めたが、この時も落城寸前まで追い込まれたものの落ちなかった。江戸時代になり、要害の必要性が無くなると、山麓部に城の中枢が移っていった。正保2年(1645)に松平氏が入り、その後は明治維新まで松平氏が安定して10代に続くおきまりのパターン。現在は模擬天守が建てられるなど城山公園として整備されているが、遺構は少なく、むしろ城下町の方が有名になっている。と書いていたが、つい最近になって(2020年3月に)国の史跡に指定された。う~ん 基準がイマイチよく分からないなぁ。
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