Japanese Castle

中津城

中津城について

 周防灘に近い河口付近に築かれた水城で、日本三大水城として有名。秀吉の九州平定後の天正15年(1587)、黒田孝高(官兵衛)がこの地を与えられ、新たな居城として築いたのが始まり。当初は地元の豪族らの抵抗によって築城が順調に進まなかった。関ヶ原後は細川忠興が入城し、縄張りを拡張して城下町を整備するなど本格的な整備が進められた。元和6年(1620)頃には、22基の櫓と8の門が築かれた近世的な城と、城下全域を囲む総延長24kmに及ぶ本格的な総構えが築かれた。細川氏の後は、小笠原氏の暗愚な城主が続いたが、享保2年(1717)に奥平氏が入り、以降は9代明治まで155年間続いた。明治4年(1871)に廃城となり、西南戦争時に御殿なども焼失した。現在、本丸跡は神社や公園となっている。
【本丸・復元天守】 【二の丸・三の丸】 【その他のエリア】