南北朝時代に葦名氏によって築かれたのが始まりで、当初は黒川城と呼ばれていた。
その後、天正18年(1590年)奥羽仕置きによりこの地に入封してきた蒲生氏郷により
7層の天守閣が建てられるなど、城と城下町が大幅に拡張され、この頃に黒川の名も
若松と改められ、鶴ヶ城と命名された。その後、一時期上杉家が入った後、
江戸期になると寛永16年(1639)当時の城主加藤明成により、北馬出、西馬出は
それぞれ北出丸、西出丸に改築され現在の形態となった。
幕末の戊辰戦争では約1ヶ月の激しい攻防戦に堪えている。
昭和9年に若松城跡として国の史跡となり、昭和40年に天守が再建された。
近年になり櫓なども復元され、会津若松のシンボルとなっている。
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