Japanese Castle

岩村城

岩村城について

 岩村城の歴史は古く、源頼朝の重臣の加藤景廉が文治3年(1185)に築いたのが始まりと言われている。以後、加藤氏がこの地域の地名である遠山に性を改め、代々遠山氏の居城となった。戦国期には、信長の叔母が女城主として守っていたところを武田勢の秋山信友が城を奪取して入城したが、その後すぐに織田軍に敗れ、その後は森蘭丸が入城するなど、城主はめまぐるしく交代した。慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後は松平家乗が城主となり、山麓の御殿などが整備された。その後は松平氏・丹羽氏などの譜代大名の城として明治維新まで存続すると共に、城下町は東濃地方の中心として栄えた。廃藩置県後の明治6年に建物は取り壊されたが、その後も山麓の御殿は県庁として使われた。標高717mに位置し、全国の山城の中でも最も高いところにあると言われており、三大山城の一つに数えられている。現在でも近世城郭として大修築された石垣が見事に残っている。
【大手~三の丸】 【二の丸・出丸・南曲輪】 【本丸・東曲輪】
【御殿・山麓】