明応、永正年間(1492〜1521)に長野尚業により造られ、以降長野氏の拠点となった。
武田、上杉、北条の三大勢力の狭間に位置しながら、善戦したが、業盛の時に武田勢に
攻められ落城する。その後、武田氏、織田氏、北条氏と引き継がれ、その間に滝川一益や
北条氏邦が城主となっており、この地域で最大の拠点となっていた事が分かる。
北条氏の滅亡後は、井伊直政が入城しこの頃に大幅な改修が行われ、城下町も整備された。
その後、慶長三年(1598)に井伊直政が城を高崎に移し、
廃城となった。現在も大堀きりをはじめとする多くの遺構が残っている。
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