永正元年(1504)に小笠原氏の支城として築かれた深志城が始まり。天文19年(1550)に武田氏に落とされた後、 三重の堀を持つ武田系の城郭に改修された。その後、武田氏が滅びると再び小笠原氏の城となり、この頃に深志城から松本城と改められた。 天正18年(1590)に秀吉配下の石川数正が入城し、数正、康長親子によりほぼ現在見られる中心部造営された。享保12年(1727)に 本丸御殿が焼失したが、江戸時代を通じて藩政の中心となった。明治期になると他の城同様、多くの建物が破却されたが、天守は何とか残され、 現在は国宝に指定されている。 |
【現存天守】 | 【本丸】 | 【二の丸】 |
---|---|---|
【外郭】 | ||
---|---|---|