天正11年(1583)から真田昌幸によって築城が開始された平城。南方は千曲川の分流である尼ケ淵の断崖に面し、 他の三方は城下町と河川を配した堅固な城だった。天正13年(1585)と慶長5年(1600)の上田合戦で、二度にわたり 数に勝る徳川氏を退けた事で有名だが、関ヶ原で西軍についた真田氏が九度山に流された後に徹底的に破却された。 現在見られる遺構は、大坂の陣後に小諸から移った仙石忠政によって寛永3~5年(1626~28)にかけて新たに築き直されたもの。 仙石忠政の病死により築城は未完成のまま中止となり、天守も建てられなかった。その後、江戸後期には松平氏の居城となり 明治維新を迎えた。現在は本丸・二の丸にあたる場所が城跡公園として整備され、国の史跡に指定されている。 |
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