今川氏の遠江支配の拠点として掛川城の北東約200mのところに掛川古城があったが、
今川氏の勢力拡大に伴い掛川古城では手狭となり、永正10年(1513)頃に現在の場所に移ったのが始まり。
その後、今川氏の力が衰えると永禄12年(1569)今川氏真の頃に徳川家康に攻められ、半年にわたる
攻城戦の後開城し、今川氏にとって最後の城となった。
その後、徳川家の城として武田氏の侵攻を防ぐための拠点となった。
家康が関東に移封されると、秀吉配下の山内一豊が入り。この頃に大規模な拡張が行われ、
天守も建てられるなど、近世城郭として整備された。江戸時代の城域は東西1400m、南北600mmに及び、
松平家、太田家などの譜代大名11家26代の居城として江戸期を通じて繁栄した。
嘉永7年(1854)の大地震により多くの建物が倒壊し、一部の建物を除いて再建されないまま
明治を迎え廃城となった。近年になり、国内で初めてとなる本格木造天守が復元され、
現在は城址公園として観光名所になっている。
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