鎌倉時代末期、伊予国の守護が築いた地蔵が岳城が始まりと言われ、戦国期に
小早川隆景が伊予を平定した後は、戸田勝隆、藤堂高虎、脇坂安治などが城主になる。
この頃4層4階の天守を中心とした本格的な近世城郭が整備されたと考えられる。
その後、元和3年(1617)に米子から加藤貞泰が入城し、以後明治維新を迎えるまで、
加藤氏が6万石の城主としてこの地を治めた。明治21年(1888)には天守が取り壊されたが、
4棟の櫓は解体を免れ、現在はいずれも国の重要文化財に指定されている。平成16年
(2004)に明治の古写真や江戸期の木組み模型などを元に天守が復元された。
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