洲本城
洲本城について
大永6年(1526)に三好氏の重臣・安宅治興によって由良城の支城として築かれたのが始まり。
織田信長による淡路島攻略で、(1581)本拠地の由良城を羽柴秀吉に攻められ明け渡した際に洲本城も開城した。
その後、仙石秀久が入城し四国攻めの水軍の城として石垣が築かれたが、軍律違反で高野山に追放され、
代わりに脇坂安治が入城した。この脇坂安治の慶長14年(1609)までの24年間の在城中に天守の造営、
石垣の大改修などが行われ、この頃に倭城での経験から「登り石垣」が築かれており、現在見られる
石垣の多くはこの頃のもの。
江戸時代になり、姫路城主池田輝政の三男忠雄が領主になった際に由良成山城に移り、洲本城は一旦廃城となったが、
蜂須賀家家老の稲田氏が再び洲本城に本拠を移し、明治期に廃城となるまでまで稲田氏が代々城代を務めた。
現在は、国の史跡に指定されている。
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天守・本丸エリア |
東の丸エリア |
西の丸エリア |
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南の丸エリア |
大手~本丸 |
山麓・登り石垣 |
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