金沢城
金沢城について
加賀一向一揆の拠点として金沢御堂が築かれた場所に、天正8年(1580)一向一揆を制圧したに柴田勝家の甥にあたる佐久間信盛が初代城主として入城し、城の基礎を築いた。賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が負けた後の天正11年(1583)に前田利家が入城し、本格的な近世城郭として整備された。その後、大火に見舞われながらも拡張や増築を繰り返し、寛永の大火(1631)後に二の丸・三の丸の他総構えを備えた大城郭となった。その後も江戸時代を通じて何度も大火に見舞われ、多くの建物が焼失しているが、その都度造営・修理が繰り返され、幕末まで加賀百万石の藩政の中心として機能し続けた。明治期になり陸軍の兵営地となり、また戦後長らく金沢大学の敷地となっていたため(平成7年まで)、城跡として整備され始めたのは結構最近のこと。僅かに残る現存建物は重要文化財に指定されている。
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