Japanese Castle

高松城

高松城について

 天正15年(1587)豊臣秀吉から讃岐を与えられた生駒親正によって築かれたのが始まりで、約3年の歳月を費やし天正18年(1590年)に完成した。黒田如水や細川忠興が縄張りに関わったと言われ、海水を引き入れた三重の堀を持ち、城内に船が出入り出来た日本有数の本格的な海城で、日本三大水城の一つににも数えられている。生駒氏は4代続いたが、お家騒動により転封。その後、寛永19年(1642)に松平頼重が東讃岐12万石の藩主として入り、この頃に天守の改築を初めとして、北の丸、東の丸の拡張など、西国の外様大名に対する押さえの城として大幅に整備が進められた。以降明治まで松平家11代228年の居城として、讃岐の政治、経済、文化の中心地となった。明治2年(1869)の版籍奉還によって廃城となり、明治中期以降、市街地化が進み外堀と中堀が埋め立てられた他、北側の海も埋め立てられ海城としての景観が失われたが、月見櫓や艮櫓などが現存し国の史跡に指定されている。
【帯郭~三の丸】 【北の丸・東の丸】 【二の丸】
【本丸】