Japanese Castle

岡城

岡城について

 川に挟まれた比高95mの天神山の山上を中心に築かれた山城。頼朝に追われた義経を迎えるために緒方惟栄が築いたという伝説が残るが、実際のところはかなり怪しい。南北朝時代には大友氏の一族である志賀氏が入り、豊薩戦争の際には志賀親次が島津義弘が率いる3万5千の大軍を僅かな兵力で退けている。秀吉の九州平定後の文禄3年(1594)に中川秀成が7万石で入城し、この頃に高石垣が築かれ、三重櫓を初めとする多くの櫓も建てられるなど、大規模な改築な行われ近世城郭として生まれ変わった。その後、江戸時代を通じて台風や地震の被害も多かったが、修復を繰り返しながら明治維新まで続いた。明治7年(1874)には払い下げられ、全ての建物が取り壊された。現在、建物は何も残っていないが、石垣や縄張りがほぼ完全な形で残っている。
【登城路】 【西の丸】 【主要部】
【東ノ郭】