関ヶ原で戦功のあった井伊直政がこの地を与えられ、その子の直継により慶応8年(1603)に着手された。
西国への抑えの拠点として重要視され、7ヶ国12大名に応援させて天下普請で築城された近世城郭。
材木や石材は近隣の古城、廃寺などから集められ、建築が急がれたが、大坂の陣などもあり、
元和8年(1622)の完成まで20年を要した。ちなみに、天守も大津城から移築されたと言われている。
明治期になり多くの建物は取り壊されたが、天守を初めとする幾つかの櫓は取り壊しを免れ、それらは現在
国宝や重要文化財などに指定されている。
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