唐沢山城
【唐沢山城】
延長年間に藤原秀郷により築かれたと言われており、その子孫である佐野家代々の居城として 拡張・整備された。周囲を急崖に囲まれた天然の要害にあり、上杉と北条が争奪を繰り返した境界に 位置する重要拠点として、永禄年間には十数回に及ぶ上杉謙信との攻城戦も行われている。 しかし、慶長7年(1602)江戸の大火を見て佐野信吉が駆け付けたのを知った家康の命により、 廃城になったと言われている。 関東七名城の一つにも数えられ、現在でも戦国後期の中世山城の遺構が良く残っている。
【本丸エリア】
【大手エリア】
【南側エリア】
【東側エリア】