丸亀城
丸亀城について
慶長2年(1597)高松城の支城として生駒親正によって標高66mの亀山に築かれた平山城。元和元年(1615)の一国一城令により一度廃城となるが、
寛永20年(1643)に讃岐藩が東西に分かれ、西讃岐藩が設立すると、山崎氏が6万石で入り大規模な整備、改修を行い再興された。石垣を含めた現在残る遺構の多くはこの頃のものと思われる。万治元年(1658)に山崎氏が断絶した後は京極氏が入る。その後も御殿や一部の櫓などが焼失したり解体されたりしたが、大規模な改修が行われる事は無く明治期まで続いた。天守と高石が木が残る城として全国的に有名で、現在は国の史跡に指定されている。
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