高取城
高取城について
南北朝時代に地元の豪族だった越智氏によって南朝方の砦として築かれたのが始まり。天正八年には信長の命によって一旦は廃城となるが、豊臣秀長が大和に入国すると、配下の本多利朝によって本格的な石垣造りの近世城郭として整備された。本多氏断絶後は幕府の城番時代を経て、寛永17年(1640)に植村家政が入城し、以降常普請を許された植村氏が城主として江戸時代を通じて14代続き、改修や補修が繰り返され最大級の山城へと発展した。関ヶ原の前哨戦や、幕末には天誅組に攻められた13代家保がこの城に拠って撃退するなど、一応実戦も経験している。明治期になり、多くの建物が失われたが、現在も総延長3.5kmに及ぶ壮大な石垣が残る最大級の近世山城として有名で、国の史跡に指定されるとともに、日本三大山城にも数えられている。
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