萩城
関ヶ原後、防長二ヵ国36万石へと領地を大幅に削減された毛利輝元の居城として 慶長9年(1604)年に築かれた。指月山山麓の平城と山頂の山城とが組み合わされた造りで、 江戸期を通じて毛利家の居城として、防長の政治の中心として機能した。 文久3年(1863)毛利敬親により藩府を山口に移され、萩城は廃城となり、 明治7年(1874)に天守などの建物も解体された。現在も石垣と堀の一部が残っており、 本丸跡は指月公園として整備されている。
本丸
二ノ丸
三ノ丸
詰丸
城下町
幕末関係史跡